見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
ヨハネの黙示録3:20
この聖句は私たちに主を迎える道を示しています。終わりの日に、ある人は主が再来されて言葉を発されると証しする時に、私たちは尋ね求め考察すべきです。もし私たちがこれらの言葉はみな真理であり、神様の声であると聞き分けたら、私たちは主を迎えられて主と共に宴席に着くことができるのです。このような人は賢い乙女です。しかし、それら主の再来についての証しを聞いても、尋ね求めて考察しないだけではなく、ひいては神様の声を罪に定めて抵抗し、拒絶する人は愚かな乙女です。最終的に主に見捨てられ、暗闇に陥って歯ぎしりして泣くしかありません。このことから、主イエスの再来を迎えることにおいて、肝心なのは神様の声を聞き分けることだと分かりました。たとえば、主イエスが働く時に、悔い改めの道を発表し、それら主に従う弟子や使徒たちは、主イエスの言葉と働きから主イエスが来たるべきのメシアであることを認識でき、主の救いを得られました。それらユダヤ教のパリサイ人は神様の声を聞き分けず、ひいてはユダヤ人が主イエスに従うことを全力を尽くして阻み、このような人は神様に排除され懲罰を受ける対象になります。
現在、主を迎える肝心な時には、私たちすべての信者にとって、神様の声を聞き分けることも極めて重要なことです。これは私たちが神様の足跡に付き従い、主と共に宴席に着くことができるかどうかに関わっており、さらに私たちの結末と終着点に関わっています。
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